ぴよてぃの青い本

私が織りなす言語ゲームの一環

ぴよてぃとゲーム。

※まだまとまってないので、今後加筆修正予定です・ㅅ・ゞ

 

訳あっていろいろ考えていたのですが、ついに「ゲームをすること」について考えるときが来ました!Ò△Ó(?)

 

Q2.ゲームはなぜやめられないのか?

 

ゲームをしているいつもの自分の姿から、少し距離を置いて考えてみようっ。

まずはゲームをしている自分がいる光景を浮かべてみて、「なんでゲームしてるんだろう」と考えてみる...・ㅅ・

 

何やってるんだろう...?キーボードかちゃかちゃして、何やらチャットをしているようだ...ÒㅅÓ

他にも画面のキャラクターを動かして何かしている、この空間だけ見たらひとりで何やら画面をじっくり見ている感じだけれど、それは周りから見てもあんまり面白くなさそうな...?-ㅅ-;

でもきっと、本人は楽しんでいるのだろう。テレビの前でじっくりと座ってドラマとかお笑い番組とかを見て "楽しい、面白い、もっと続きが見たい" と思っている人たちと同じようにÒ△Ó

 

Q2-1.ゲームとは何か?

 

正直ゲームもテレビ番組も、構図としては同じものかとっ。

ソフトウェアの面で同列に並べられて、ゲームデータの作製、番組の作製はともに同じ性質のものではないかとÒㅅÓ*

誰かが特定の人々を動かすために、ゲームを、番組を、作り上げたのですから。

 

兄と共に遊んでいると、ゲームばっかりしてるとアホになるよー、と昔母親からよく言われていました-ㅅ-

ただ、自分たちはそれをとても楽しんでいたというのは事実でした。

傍から見たら「何が面白いんだろう」と言われ、小一時間説明しようとしたのですが結局やってみたら分かるかもって言ってやらせてみたり...。

それで分かってもらえた時もあれば、そうならない時もありました。

もちろん、自分でその楽しさというものをうまく説明できなかったからです。

「同じ体験をしたら分かってくれるだろう!」という安直な考えで理解してもらおうとしたのですが、そりゃあ人それぞれ好みも興味も違いがあるし...ÒㅅÓ;

 

Q2-1-1.相手に自分を理解してもらうために、好みや興味をそのまま相手に"貼り付ける"ようなことはできるのだろうか?

 

多分無理っ。

それこそ、意識をそういう風に変えられる方法があるのなら、私たちは自分たちの都合のいいように相手を動かすことができるようになるかもしれない...ε=-△-;

...あまりにも恐ろしい未来がチラチラと見えますねっ。

動かすもの・動かされるもの...ええ、FFTの物語を思い出しますÒ△Ó*

 

Q2-1-2.相手は自分と違って趣味・趣向も違うのだから、常にそこには差異があるのだと考えるべきか?

 

その通り、自分は自分、他人は他人、彼は彼、彼女は彼女。

それはどうしても変わらない・変えられない事実であると認識しておくことは、ある程度の意見の違いや熱意の差などの理解・受容にもつながりますÒ△Ó

寛容になるための一歩、また共同体感覚を身につけるための一歩でもあるかもっ。

 

Q2-2.ゲームは何を生み出すのか?

 

自分に正直に聞いてみてください。

何が生まれましたか?

 

私なりに答えてみると...。

遊ぶことで楽しさを見出し、気分転換ができてリラックスもできます。

オンラインゲームであれば人とのつながりもでき、場合によってはリアルでの付き合いまでつながることもありますっ。

(程度の差もありますが、人によっては全然そういうこともなかったり)

現実世界での報酬というのは、きっと自分のみに還元されるものがほとんどで、他人から見ると進展がないように見えるかもしれませんね。

確かに手に入れたものは楽しさくらいかもしれないけれど、それが例え誰かによって作られたものだとしても、その際の自分が楽しさを手に入れたかったのだろうと...そういう状態であったという事実のみを認識しておきましょう。

それでゲームが無駄なものだと思ってしまったら、今度は自分が動かすものになる番かもしれませんっ。

 

 

A2.その時々の欲求が先行しているから。ただし欲求の背景は考察する必要があり、純粋な欲求であるのが望ましい。

 

 

さっき見つけたこの記事も参考になるかと思いますっ。

ちょっと親近感を覚えましたÒ△Ó* ←

 

夜更かししすぎた、おやすみなさいっÒ△Ó;